天狗の仕業に疑いなし☆ | げむおた街道をゆく

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この年(1560)8月、

氏康公(北条氏康)は、足柄城を修造されるために巡見に出られて、

関本の最乗寺に参詣された。

この寺の開山の了庵和尚は、曹洞の開基である道元五代の法孫なり。

この場所に山居があったが、大森寄栖庵が常に信じて、この寺を建立した。

そして関東奥羽まで、この和尚の法孫として末寺が尽く当寺の住職を勤めて、
1年替わりで輪番した。

七堂伽藍の建立なり。

開山の了庵和尚の弟子に道流という者がおり、

我慢邪知にして大力の悪僧であったが、

「私は生きながら天狗となって、末世永々までこの山を守護せん。」

という誓願を起こして毎日荒修行を致し、

道流は果たして天狗となって山中に住んだ。

「今も悪知識の者がいる時には、必ずやって来て障害をなすこと必定なり。」

と寺僧が仰々しく語ると、氏康の供の人々は大いに疑って、

「末世にもそんな不思議があるだろうか。

その天狗とやらは鳥か獣じゃないのか。」
などと言ってささやいた。

するとにわかに大風が吹き落ちて樹木を吹き倒し、

寺の門戸を破って震動雷電すれば、

「只今天狗に攫われていくのか!」

と皆人は舌を振って驚き恐れた。

 

こうして、

「まことに晴れていた空がたちまちこのようになったのは、

天狗の仕業に疑いなし。」

と氏康も信仰されて、この寺を再興なさったという。

 

 

 

  『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。  

 

 

 

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→ 相模の獅子・北条氏康、目次

 

 

 

 

 

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