天文15年(1546)4月夜、武蔵国河越。
河越城を包囲した両上杉軍は、ここまで弱腰の北条を侮り、
酒宴を開く者までいた。
北条氏康はそのスキを見逃さず、これに夜襲をかけた。
世に言う『河越夜戦』である。
不意を突かれ、浮き足立ち、我れ先に逃げる両上杉軍に比べ、
白い紙羽織で軍装をそろえ、
合言葉を使い万全を期して戦う北条軍に乱れはなく、
勝負は一方的な展開になった。
いや、上杉の侍にも全く動ぜず、
踏みとどまって戦わんとする者がいた。
体躯人に優れたその男は、九つの提灯を竹竿に掛け、
あかあかと灯すと名乗った。
「我は本間近江守!
真の闇を照らす者なり!
闇に隠れて動く卑怯者め、
恐れぬのなら、この灯りの下に出て闘えい!」
北条軍から、一人の若武者がこれに答えた。
二人は、全ての灯火が消え果てるまで打ち合ったが、
ついに勝負の着く時が来た。
「クッ、このわしが若造相手に不覚を取るとは!
見事だ、北条の若侍よ、名を名乗れ!」
「大道寺孫九郎。」
「『御由緒家』の大道寺か! 道理で・・・。大道寺殿よ、頼みがある。」
「・・・言ってみよ。」
「この九つの提灯な。わしはもうこの通りじゃ、使うことが出来ん。
せめてお主が持って行き、『本間ほどの者を討ち取った』と標にして、
よく氏康殿に仕えて伝えてくれい。」
「・・・承知いたした。」
「よし、もう思い残すことは無い。やれい!」
「・・・御免!」
本間の首を挙げた孫九郎は、のちに名を大道寺政繁と改め、
さらに武名を轟かせた。
本間との約束により造られたその馬印、
『九つ提灯』は関八州に知られ、北条家では、
彼の武勇にあやからんと、
勇士は旗指物に提灯を指すようになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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