小早川隆景が、金吾殿(秀秋)をその養子としたことを、
安国寺恵瓊は聞きつけると隆景の元へと行き、
このように言った。
「御養子の事が、貴公の御依頼のまま相済んだとの事、
千秋萬歳、めでたく思います。
ですが、これは貴公御一代の誤りであります。
何故なら、御養子を取るのなら多く有る毛利の御一族の中から何れでも、
国を治められる器量の人をお見立てになって、これを養子とすれば、
世の末まで筑前は中国と同じく毛利家の御分国となったのに、
他人である金吾殿を養子とし御国を譲るというのは、
筑前国を人に差上げたのと同じことです。
貴公のことを、上様(秀吉)は別して御愛敬なされていますから、
今新たに1ヶ国取るということも、
出来ない話ではないと思うのです。
そのようにしてこそ、毛利家の勢力もいよいよ広くなるではありませんか。
だからこそ、私はこれは、大いなる思案違いだと考えるのです。」
隆景はこれを聞くと、
「西堂(恵瓊)はそのように思われるか。それは私の考えとは間逆である。
私が普段から気遣っているのは、毛利家の分国は8ヶ国であり、
その上私が筑前を拝領し、
おおよそ9ヶ国となった。
毛利家には、国が甚だしく多すぎると言うことだ。
これは却って、毛利家の禍となるのではないか?
私はこのことだけは、大変心もとなく思っているのだ。
であるからこそ、我が国を毛利の子孫に譲らず、金吾に譲るのだ。
国を取るにも、種がなければ取れぬものだ。
私には今、その種は見つけられない。
であれば、何を種として国を望むべきであろうか?
種無くして欲が深ければ身の災いとなるだろう。
私はもはや年寄りであるから、間もなくこの身も終わるだろう。
私が死んだ後の毛利家が目に見えるようだ。
元清(穂井田元清:元就四男)が長命であれば、
長久の謀もあるのだが、彼も病身であればあまり頼ることは出来ない。
相かまえて、種もなく国を望む野心を持ってはならない。」
恵瓊はこの道理に屈し、
「短才なることを申しだしてしまい、面目を失いました。
ですが後学のため、良きことを承りました。」
そう言って帰った。
しかしその後、恵瓊は隆景の戒めを忘れ、石田三成の乱に与し、
輝元にこれを進めたため終には、
その身を滅ぼし、輝元の分国を多く失う結果となったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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