釜山喧嘩の事☆ | げむおた街道をゆく

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朝鮮の役の時のこと
釜山の城の普請が完成したことにより、日本軍の諸将はそこに集まった。

ここに毛利家の船大将である野島、来島、粟屋とといった人々も合ったが、

折節雨が強く降っており、
徒然に野島と来島は碁を囲み、粟屋を始めとして両島の一族これを見物した。

この時、来島の与力が碁の手を助言した所、野島は激怒した。

「大事の所で何を助言しているのか!

碁というものは見落としを利するものではないか!」

しかし木島の側はこれに反論した。
すると野島、

「助言面を張るべきという、よって御辺の面を張り叩く!」

この言葉に来島、
「どうして助言したからといって、侍が面を張られて、おめおめと引き下がれようか!」

「要らぬ説明を尽くすよりも、この方が遠慮するようになるだろう!」

すると来島、侮辱するように、
「御辺が張った後が腫れて、殊の外痛むぞ!」と言い出した。

これに野島、即座に刀を引きぬいて頭に向かって斬りつける。
来島も抜き合わせ「やるまじ!」と戦う所に、野島の与力斬って懸り、

来島の与力もそこに打ち掛かる。

双方入り乱れ散々な斬り合いとなった。

こうして両派に分かれてひしめき大きな騒ぎとなった所、

報告を受けた小早川隆景は激しく怒り、
「何と言う憎き奴原か!この上もないような狼藉を起こし、

何と言う曲事であろう!
人数を寄せて両方共、一人残らず召し捕れ!」

そう命じて一気に押し寄せ捕らえられた。
そして日本に撤退したあと、一同処罰を受けたとのことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 仁将・小早川隆景、目次

 

 

 

 

 

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