天正15年(1587)、肥後国人一揆が起こる。
この影響は、小早川隆景の領する筑前にも波及するかに見えた。
そもそも肥後の一揆は、佐々成政の手荒い施政が原因であった。
検地をし、さらには、昔から港より運搬する荷物を運ぶ使役を、
三里とされていた所は五里に、
五里とされていたところは八里運ばせるようにした。
このように荒い仕置を行ったために、一揆が起こったのだ。
小早川隆景は、肥後に一揆が起こったことを聞くと、
この筑前でも一揆が起こりうると判断し、
すぐさま国中に制札を立てた。
『筑前においては、年貢も、津出し(港への荷物運搬の使役)も、
小物成(その他の雑税)にいたるまで、全て昔のままの年貢沙汰とする。』
この制札が出ると、筑前において一揆を計画していた者たちもそれを取りやめ、
結果、小早川領の筑前は、何事も起こること無かったとのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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