小田原北条氏に上洛するよう、天正十七年に豊臣秀吉公が命ぜられた所、
これを難渋したため、秀吉公は出馬され小田原を攻め懸けられた。
しかし城の守りは堅固であった。
その頃、小早川隆景公は小田原に御在陣なされており、
秀吉公より御相談を受けた。
「私はこの小田原城を攻め崩したいと思っている。
ところでそなたの父である元就は、
こういった城の攻略をどのように成されていたのか。」
こうお尋ねに成った所、隆景公は。
「御意の趣、ご尤もな事です。このままでこの城を切り崩されること、
少しも手間は要らないでしょう。
しかしながら、今後五日から十日の間城を厳しく攻め立て、
その上で城内に調略を懸ければ、内部よりその調略に釣れる者が出てきて、
この城攻めも落着するのではないかと思います。」
秀吉公はこの通りに指図した所、
五、六日の内に北条一家は相果て、小田原攻めは落着した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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