九州征伐のさなか、
小倉で病死した吉川元春の後を継いだのは長男・吉川元長であった。
しかし、その元長も日向で病死してしまう。
元長には子が居なかったが、幸いにも弟が二人いた。
他家に養子に出ていた元春の次男・繁沢元氏と三男・吉川経言である。
吉川家の当主はこの二人から選ばれることになった。
秀吉はこの件に関しては隆景に任せると言う。
あとは隆景次第である。
このとき輝元は元氏を推した。
元氏も父・元春や兄・元長に負けず劣らずの将であるし、
順番からいえば次男の元氏を推すのは妥当なところである。
輝元、「そんなわけで元氏が良いと思うんだが。」
しかし、隆景の考えは違った。
「吉川家は秀吉公からあまり良く思われていません。
そして我が兄・元春と元長は秀吉嫌いで、
元氏も考えはそちらに近いです。
なので、大坂に人質に出したこともあり、
秀吉公に気に入られている経言を当主にした方が良いでしょう。」
こうして三男の経言が吉川家を継ぐことになった。
秀吉のバックアップもあり、次男である元氏を差し置いて継いだことも、
特に問題とはならなかった。
経言は広家と名を改め、
吉川家の当主・吉川広家として、
その後も活躍したのはご存知の通りである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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