伊予拝領の次第☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

豊臣秀吉による四国征伐の後、四国の国割を行った時の事である。

秀吉は阿波を蜂須賀に、讃岐は仙石秀久、土佐は長宗我部元親、

そして伊予国は小早川隆景に下した。
これに蜂須賀・仙石は拝領した国に直ぐに入部した。

ところが小早川隆景はいつまでたっても入部せず、

それどころか内々に、この拝領を断ったと聞こえてきた。

隆景に伊予が与えられたのは、

かつて本能寺の変により備中高松より撤退しようとする秀吉に、

隆景が律儀を立てて陣中で乱舞などを行い陣を静め、

秀吉の撤退を助けたことが、後に秀吉の耳に入り、
その感謝の印として与えられたのだ、と言うことだという。

隆景がこれを断った理由は、このようなものであった。

「私がこの、伊予国を上様(秀吉)から直に拝領しましては、

私は立場上、(毛利)輝元と同格の大名になってしまいます。
そうなっては、もし輝元の意向に反する事態が起こった時、

上様の厚い恩義を被ってしまった以上、

輝元に一味するのが難しくなってしまいます。

私が何故こんな事を言うのかといえば、

我が父毛利陸奥守元就が亡くなられる時、輝元を見放さないと、

父親に対して誓紙を出したためなのです。」

秀吉は奉行衆よりこれを聞くと深く感じ入り、
「その分別、神妙である。ならば伊予は輝元に与え、

輝元より隆景に遣わすようにすべし。」
と命じた。

 

隆景も「それならば。」と、伊予を拝領したという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 仁将・小早川隆景、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!