豊臣秀吉による四国征伐の後、四国の国割を行った時の事である。
秀吉は阿波を蜂須賀に、讃岐は仙石秀久、土佐は長宗我部元親、
そして伊予国は小早川隆景に下した。
これに蜂須賀・仙石は拝領した国に直ぐに入部した。
ところが小早川隆景はいつまでたっても入部せず、
それどころか内々に、この拝領を断ったと聞こえてきた。
隆景に伊予が与えられたのは、
かつて本能寺の変により備中高松より撤退しようとする秀吉に、
隆景が律儀を立てて陣中で乱舞などを行い陣を静め、
秀吉の撤退を助けたことが、後に秀吉の耳に入り、
その感謝の印として与えられたのだ、と言うことだという。
隆景がこれを断った理由は、このようなものであった。
「私がこの、伊予国を上様(秀吉)から直に拝領しましては、
私は立場上、(毛利)輝元と同格の大名になってしまいます。
そうなっては、もし輝元の意向に反する事態が起こった時、
上様の厚い恩義を被ってしまった以上、
輝元に一味するのが難しくなってしまいます。
私が何故こんな事を言うのかといえば、
我が父毛利陸奥守元就が亡くなられる時、輝元を見放さないと、
父親に対して誓紙を出したためなのです。」
秀吉は奉行衆よりこれを聞くと深く感じ入り、
「その分別、神妙である。ならば伊予は輝元に与え、
輝元より隆景に遣わすようにすべし。」
と命じた。
隆景も「それならば。」と、伊予を拝領したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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