置き去りの下次右衛門☆ | げむおた街道をゆく

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慶長5年(1600年)10月2日、

この前日に直江兼続の軍を会津に追い返した、山形の最上義光の元に、
谷地という在所から報告が入った。

 

上杉方の兵、下次右衛門が直江の軍の撤退を知らずに、

田川郡の古城に立てこもり、一揆を起こす構えを見せている、というのだ。
 

義光への注進は、直ちに大軍を出し攻め討つべきだと言ってきたが、

義光はこれを考えた。

「下次右衛門は小身であるといっても、武勇の聞こえある侍である。
特に田川郡をその本国であると聞いている。ここは調略を持って彼を味方にし、

次の作戦である庄内平定の案内者とするべきではないか。」

そこで家臣の志村伊豆を呼び、この旨を申し聞かせると、

志村は急ぎ谷地の郷へと向かい、
近隣の兵を集め、下次右衛門の籠もる城を二重三重に囲み、

今にも攻めるような形に見せた上で、夜に入ると密使を送った。

 

そして次右衛門にこう伝える。

『今度上杉殿一味の諸大名、濃州関ヶ原の一戦に利を失い、とごとく退散しました。
この事は直江山城守も聞き届け、一昨日諸軍を集め、会津へと引き返した。
そういう状況であるのですから、貴殿一人が義を守り当城にて討ち死にされても、

上杉殿にとってももはやなんの意味もない行為です。

ここは急ぎ状況をお考えになり、最上殿に降参をしそこで忠義を成されれば、

本領の他にも新恩を与えられるでしょう。』

これに下次右衛門は驚愕した。

なにしろ西軍の敗北も直江の撤退も、この時初めて知ったのだ。
そしてこれが事実かどうかも含めて判断するため、

一門衆を集めて協議を行った。
 

しかし一門衆の主張は様々で議論は全くまとまらない。
と、そんな時末座より、下美作という者が進みでてこう進言した。

「(志村)伊豆守殿が申し越されたように、

関西の諸将が関ヶ原で敗軍されたというのなら、

いくらこの城で忠死したところで、

もはや景勝公のご本意に叶うものではありません。

その上直江が軍勢を引き退いたこと、

これは最上軍の動きを見ても確かなことでしょう。
そして我々は、直江からこの事の連絡を一言も受けず、敵国中に捨て置かれてしまったのです!
これについての遺恨は甚だしいと言わざるを得ません!

ここは志村伊豆守殿の申されるように、最上殿に降参してその下で忠義に励めば、

必ず恩賞に預かることが出来るでしょう!」

そのように憚りもなく主張すると、その場の者たちも、

「それは尤もである。」

と評議定まり、翌日城を明け渡して降参した。

志村伊豆守は大いに喜び、

下次右衛門とその一門を残らず連れて山形に帰り義光に披露した。
 

これに義光も大いに満足し、下次右衛門に対し、

「今度の庄内平定で先陣をし忠義を励ますにおいては、

田川郡残らず知行させるであろう。」

と直ぐ様申し渡した。

これに次右衛門を始め下一門、大いに喜んだとのことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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