出羽にある東根家は、斯波家の末裔であり、
最上家や大崎家、天童家などが遠縁の一族にあたる。
戦国時代末期の当主に東根頼景という人がいた。
彼は天童頼貞の子であり、東根頼息という人の養子になった。
頼景は、兄・天童頼澄らと共に長年に渡り、最上義光と争った。
しかし、1584年に義光が延沢満延を懐柔したことで、
『最上八楯』(天童八楯とも)と呼ばれる国人連合は足並みを崩し始めた。
それでも頼景は兄と共に義光と戦った。
ここで義光は一計を案じ、頼景の重臣・里見源右衛門に、
「裏切って最上の味方になるなら東根の領土安堵するから。」
と言うと、源右衛門はあっさりと裏切り、頼景はそのために殺されてしまった。
まもなく頼澄も逃亡し、最上八楯はあっさりと瓦解してしまった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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