向去(ムカサリ)道☆ | げむおた街道をゆく

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戦国時代のある日、

山形の最上家と谷地の白鳥家の間で縁談の話が持ち上がりました。
 

最上義光は、家臣の蔵増親景に命じて、

長男の最上義康と白鳥長久の娘の日吉姫(伏姫とも)の婚儀のために、

姫を谷地から山形へと迎える、

新道を(山形から漆山、高擶、蔵増、谷地を通る最短距離の新街道)を切り開きました。

日吉姫はこの道を通って山形に嫁ぎ、沿道の領民たちは、

この道を「向去(ムカサリ)道」と呼びました。
 

それから間もなく血染めの桜で知られる、白鳥長久謀殺事件が起き、

婚姻が事実上のおしゃかとなると、最上の軍勢がこの新道を谷地まで攻め入り、

姫の里の谷地は落城。
「ムカサリ道」は「いくさ道」でもあったのです。

天童にあるこの道も、今ではわずかに名残を留めるだけとなりました。
また、長崎と山辺間の「立道」(たちみち)にも中山氏と山野辺氏の縁組の不幸な逸話があり、

以後嫁入りの際は「ムカサリ」はこの道を避けて通らなくなったと言います。
他にもムカサリと冠される橋があり、

白鷹町荒砥の「ムカサリ橋」も何故か理由はわかりませんが、

昔から「ムカサリ」は渡れない橋だと言われています。

 

伝承は理屈ではないということでしょう。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 出羽の驍将・最上義光、目次

 

 

 

 

 

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