戦国時代のある日、
山形の最上家と谷地の白鳥家の間で縁談の話が持ち上がりました。
最上義光は、家臣の蔵増親景に命じて、
長男の最上義康と白鳥長久の娘の日吉姫(伏姫とも)の婚儀のために、
姫を谷地から山形へと迎える、
新道を(山形から漆山、高擶、蔵増、谷地を通る最短距離の新街道)を切り開きました。
日吉姫はこの道を通って山形に嫁ぎ、沿道の領民たちは、
この道を「向去(ムカサリ)道」と呼びました。
それから間もなく血染めの桜で知られる、白鳥長久謀殺事件が起き、
婚姻が事実上のおしゃかとなると、最上の軍勢がこの新道を谷地まで攻め入り、
姫の里の谷地は落城。
「ムカサリ道」は「いくさ道」でもあったのです。
天童にあるこの道も、今ではわずかに名残を留めるだけとなりました。
また、長崎と山辺間の「立道」(たちみち)にも中山氏と山野辺氏の縁組の不幸な逸話があり、
以後嫁入りの際は「ムカサリ」はこの道を避けて通らなくなったと言います。
他にもムカサリと冠される橋があり、
白鷹町荒砥の「ムカサリ橋」も何故か理由はわかりませんが、
昔から「ムカサリ」は渡れない橋だと言われています。
伝承は理屈ではないということでしょう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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