最上義光が八ツ沼城を攻めた時の事、
城の中から異様な風体の僧兵が躍り出して来た。
身長6尺余、肌は色黒く、渋縄目の鎧に白綾の鉢巻きをし、
8尺余りの鉄棒を振りかざしていた。
弁寛、
「遠くにいる者は音に聞け!近くの者は寄って見よ!
俺は当国一ノ宮羽黒山の飛礫の弁寛さまよ!
仲間からは一騎当千と評され八ツ沼勢に加勢仕まつった。
最上義光さんも俺の事は知っているだろう!
越後に囚われた大宝寺義氏を救出したときに数万人の敵兵を踏み散らし、
本庄繁□を捕縛し、今弁慶と呼ばれた出羽三山一の荒僧兵よ!
いわば俺さまに敵う奴などおらんわ!」
弁寛は、城の戸口にあった大石を軽々と担ぐと、
手鞠の様に2~300町の距離を投げた!
最上軍中に投じられた大石によってある兵は腕を砕かれ、
ある兵は人馬とも薙ぎ飛ばされ、手負・死傷者が続出した。
(この頃鮭様は敵陣から出て来た龍頭兜の武者を一騎打ちで倒してその首級を上げ、
意気揚々と陣に戻る途中で城の様子には気付いていない。)
弁寛、「さて。」
弁寛が馬にも乗らずに、鉄棒を構えて最上軍の寄せ手に討ち掛かってきた!
最上義光の旗本に、獣の名をもつ大剛の士で工藤鬼虎といった者がいた。
鬼虎の力は80人分にも相当し、敵を生け捕る名手と呼ばれていた。
鬼虎は黒革威の鎧に五枚□の緒をしめ、これはこれでやはり鉄棒を得物として装備し、
鬼虎、
「この坊主の料理は俺に任せろ!」
と弁寛の前に立ち塞がった。
弁寛は大いに嘲笑うと、鬼虎に鉄棒を振り降ろし攻撃を仕掛けた。
鬼虎が不利と見たある最上兵は火縄銃で弁寛を撃とうと狙いをつけようとしたが、
鬼虎は鉄棒を捨てて素手で弁寛を捕まえ様とタックルをかまし、
むんずと組み合い引くや押すやを繰り返した。
敵も味方も二人の力試しを固唾を呑んで見つめたが、
二人の力が余りにも強く、
踏ん張った足が崖を割り、いきなり足場が崩れた!
義光、「あっ!」
二人は組みながら数百丈の谷底に落ちていってしまった…。
双方助ニアフベク様モナシ
死生知ラレザリケリ
その後二人の姿を見た者はいない。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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