天童の狐神☆ | げむおた街道をゆく

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天正の頃(1570~80年代)、

山形の最上義光は、天童八楯と山形盆地の覇権を争っていた。

義光、「この度のいくさは負けられぬものである。神仏よ義光に助力を扶け給え。」

義光は、東原の尊海を訪ね、戦勝祈願を行っていた。

尊海、「…不穏な気配が致します。義光さま、今度のいくさは拙僧も同道致しましょう」

尊海はそう言うと、身仕度を調え、義光と共に戦場へと赴く事となった。

最上軍が天童境まで来ると、

季節に合わず立矢川(立谷沢川?)が増水し、濁流が軍の行方を妨げていた。

尊海、「これは天童頼貞側のアヤカシが殿を阻んでいるのでございます。
この尊海にしばしお任せあれ。」

尊海が言を成し空に印を結ぶとたちどころに、川面は穏やかになった。

天童頼貞は喜太郎狐と呼ばれる狐の神を信奉していた。

最上軍の道中に喜太郎狐の配下の狐の集団を幻術を使って配していたが、

その悉くが尊海の法術によって破られ、

最上方は尊海の召喚した神犬の群れによってこれを打ち破った。

天童合戦で勝利を得た義光は尊海に大層感謝し、

尊海の宝幢寺は功により寺領1370石の大寺院となった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 出羽の驍将・最上義光、目次

 

 

 

 

 

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