陸奥中納言と名乗らせて頂きたい☆ | げむおた街道をゆく

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伊達政宗は大胆不敵の人で、太閤秀吉のために領地を減ぜられた後、

一揆を起こしたり、
また家臣による企ての事などによって太閤の不審を蒙り、

身命既に危ういという時でも少しも屈せず、

時宜に従い、ついに無事に済んだ。

また大坂夏の陣の時、政宗の陣前を旗本の神保長三郎が騒がした時、

政宗は鉄砲を打ち出させ多数を討ち取った。

この時、神保側からは、

「我々は味方である。早まるな!」

と行ってきたが、

 

政宗聞き入れず、
「味方であっても我が陣前を騒がした者をどうして許すべきか!」
そう言って討ち取ったという。

そんな政宗が中納言に任じられた時、島津家久が薩摩中納言と名乗っていたので、

自分も、
「陸奥中納言と名乗らせて頂きたい。」

と願い出た。

 

しかし、

「水戸中納言、小松中納言と同様に、仙台中納言と名乗るべし。

陸奥ということは相成らぬ。」

と許しは出なかった。
 

このため政宗は、生涯『陸奥守』とばかり署名し、『中納言』と書くことはなかったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 独眼竜政宗・異聞、目次

 

 

 

 

ごきげんよう!