相馬長門守義胤の嫡男であった大膳亮利胤が急死し、
長門守は自分と同名の孫、大膳亮義胤を家督に立てた。
そして自身は、隠居所の泉田から中村城に移り、大膳亮義胤の後見を行い、
江戸にも参勤して折々江戸城に出仕された。
この頃、長門守義胤は八十余歳。
老将の髪は白髪となられていた。
ある時、御城内に入り下馬されたところ、伊達政宗がちょうど退出する所であった。
しかし、政宗は駕籠に乗らず、そのまま立って長門守義胤が通り過ぎるまで見送った。
この事をお供に参った者達が、長門守の前で夜話に申し上げた所、
それについては何も言われず、
孫の大膳亮義胤に向かってこのような事を語った。
「伊達政宗という人間はな、総じて若輩の頃から志が普通とは違う人物であった。
あれは、私と政宗が和睦して、最初の対面の後の事だ。
私は政宗の陣所の有った尾浜に彼を見舞い、
その後政宗も返礼として私が寄宿した寺院を見舞った。
そこは入り口に小さな坂があり、階段が付けられていた。
私はその坂の下まで降りて政宗を出迎え、互いに礼をした後、
政宗が、『先に亭主からお上がり下さい。』
と言うので、私が先に階段を2段上がり、3段目に片足を移した、その時のことだ!
政宗は大声で、『やっ!』と一声上げると、階段の一番下から一気に二段を飛び、
私の足を踏みつけんばかりに、駆け上がってきたのだ!
私はこれに気がついたが、あえて何事も無いかのように、
振り返りもせずに静かに階段を上がった。
政宗の方はそこに留まり、後ろの共の方に振り向いてニヤニヤと笑っていたが、
その後静かに上がってきた。
政宗のそう言う気性は天性のものなのだろう。
当時、18,9の若者が、30あまりの大人である私を驚かせようと試したのだ。
あの時、もし私が驚いて後ろを振り向いたり、少しでも様子の悪い態度を見せたなら、
何のかんのとこれを評判し、笑いものにしたに違いないのだ、あいつは!
だから、若い者はいつでも常に、朝夕、他人と交わる中に、
何事があっても心が動揺しないよう思い定めておくものだぞ。」
そう、仰った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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