和久宗是の恩☆ | げむおた街道をゆく

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小田原征伐の際、秀吉の祐筆であった和久宗是は政宗に出陣するよう促し、
政宗も応じて参陣することとなった。
 

惣無事令を無視したこと、一月あまりの遅参などで、

政宗への心証はよくなかったものの、
和久宗是の取り成しもあり、なんとか伊達家も政宗自身の命も助かった。
 

以後、宗是と政宗は親交を深め、宗是は豊臣政権下での、

政宗のロビィストとなっていった。

しかし、その10年後の関が原の合戦で石田三成が敗れ、

宗是は浪人となってしまう。
 

6年間の浪人生活を経て、宗是に救いの手を差し伸べたのは政宗であった。
政宗は宗是を客将として迎え入れ、破格の2000石の禄高を与えた。
かつての恩に報いたのである。
(いまだ健在である豊臣家との大事なパイプという打算もあったのかもしれないが。)

その後、大坂冬の陣が始まると宗是は、

「豊臣家のために討ち死にしたい。」

と政宗に願い出た。
 

政宗は、「是非もなし。」と涙を流して互いの奮戦を誓い合い、宗是を見送った。

大坂城に入城した宗是は、天王寺・岡山での最終決戦で、
「鎧を着ていては満足に動けず、老人だと侮られるかもしれない。」
と、白い織物を被って徳川軍に突入して戦死した。
 

さながら斉藤実盛のようであったと称えられた死に様であった。

なお、宗是の子、和久是安は豊臣秀頼の家臣であったが、

大坂城の落城後は政宗が幕府に助命嘆願して許され、

伊達家の家臣として禄高1000石で迎え入れられた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 独眼竜政宗・異聞、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!