慶長18年(1613)、
伊達政宗の五男・宗綱が成人し、烏帽子親として茂庭石見守綱元が選ばれ、
綱元の屋敷で元服式が行われた。
祝いの宴席では能が舞われ、膳には豆ご飯・イワシの塩焼き・芋汁が並んだ。
翌日、仙台城で成実と祝宴の話になった政宗は、
「能は良かったけど、メシがイケてなくてなァ・・・。」
と正直にこぼした。
共感を覚えた成実は後日、綱元に会うと、
「主君に粗末な膳を出すとは非礼ではないか。」
と、素直な感想を告げた。
これを聞いた綱元、即座に政宗のもとへ飛んで行き、主君に詰め寄った。
「あの人取橋の戦の折り、殿は、
『早く世を平和にして豆飯だの、焼きイワシだの、
イモノコ汁だのを腹一杯食いたいのぉ…。』
と言われました。
それゆえに今、この時にそれらを召し上がっていただいたのです。
その志をお忘れになるとは・・・!!」
「・・・・・・。」
さすがの政宗も、日ごろは温厚な男の熱い涙と叫びに、言葉も無かった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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