天正20年(1592)5月5日のこと、水争いから始まった徳川、
前田の騒動は次第に大きくなり、
ついには一触即発の事態となった。
徳川前田の両家は臨戦態勢となり、今にも合戦が始まらん、という状況になると、
普段より利家びいきである蒲生氏郷、浅野幸長、毛利河内守といった面々は家中の者達に、
具足を付けさせ、前田屋敷より少し離れたところに自身陣取り、合戦に備えた。
また前田家重臣である長九郎左衛門も急遽500の人数を引き連れ屋敷に入った。
これに利家も大変に気を良くしたという。
さらに、金森法印、堀秀政、村上義明などは公儀をはばかり自身は出なかったものの、
加勢の人数を前田屋敷によこした。
さて、この事件より少し前、伊達政宗は前田利家から金三千枚を借金していた。
この事件が起こると、
政宗は、徳川家にも前田家にも冷静な対応を呼びかける使者を送った。
その上で、自身の屋敷に家中の者達を集合させ屋敷の防備を固めた。
名護屋の各家の動向を横目に調べさせていた利家はこの報告に、
「ということは政宗は衝突に参加せず、中立を守る気か?」
これに横目の家臣、表情を曇らせ、
「いえ、それが…。」
「なんだ?政宗は屋敷から動かないつもりなのであろう?」
「たしかに政宗様は人数を屋敷内に固めております。
ただ、その鉄砲の筒先がすべて、
我が前田家の屋敷の方に向いております。」
利家これを聞くとさすがに、
「伊達政宗という男、若いくせになんという二股膏薬だ。」
と、大いに呆れたそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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