伏見城の普請を急いでいた頃のこと。
そろそろ十月にさしかかり、日々の作業も寒かろう、
普請の大名衆には風邪をひいてはなるまいということで、
太閤秀吉より紙子の差し入れがあった。
秀吉は手ずから大名衆に渡しては労を労っていた。
さて、政宗は知っての通り物好きであった。
その日も襟は紺地の金襴、袖は摺泊入りの染め物、
裾は青地の緞子という、ど派手ないでたちである。
またその時は大坂御上下の御召船(原文ママ。御座船のようなものか?)を、
拵えて進上したので、秀吉はたいそう喜んで忠光の脇差を政宗に与えた。
翌日のことである。
同じように秀吉が普請場へやってきたところ、
政宗は昨日拝領した忠光を早速差していた。
政宗が役所で御目見得のために待っているのを見て、
秀吉は小姓衆へこう言った。
「昨日、政宗にあの脇差を盗まれた。お前らちょっと行って、取り返してこい。」
さっそく小姓衆4~5人が取り返すべく政宗に取りかかる。
驚いた政宗、何故か逃げた。半町くらい逃げた。
逃げたのだからやっぱり盗んだに違いない! と小姓衆はいきりたったが、
秀吉は笑って、「まぁまぁ、もうよい。」と許した。
またあるとき、秀吉は御所柿を差し入れに持ってきて、手ずから大名衆に渡していた。
政宗は御所柿が大好物だったので、「一番大きい柿を下され。」と言った。
秀吉はそれならば、と取って返し、大きな柿を持ってきて、
「これより大きい柿はないぞ。」と言って政宗に手渡した。
これを見て、近所の役所の大名衆は、政宗は遠国の大名で、
近頃奉公しはじめたばかりなのにこれほど秀吉に気に入られている。
冥加の仁である、と噂したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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