仲直りをさせようと☆ | げむおた街道をゆく

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(政宗の)あるときの仰せでは、太閤が伏見におられたとき、

城のなかに御学問所と名付けた座敷を造り、四隅に数寄屋(茶室)四つを設け、

東西の諸大名に茶を振る舞った。


亭主は四人で、太閤と家康公、前田利家公と私(政宗)だった
 

太閤も残る三人も良い葛籠を持ち寄り、自分たちで寝床を敷き、

四人は枕を並べて夜もすがら、昔物語をして楽しんだ。

さて、四つの数寄屋はくじ引きで決めてそれぞれ四人が受け取り、

水屋以下、お勝手料理の間もそれぞれの数寄屋に設けられていたので、

四人とも料理なども隠し合い、工夫をこらしていた。


(秀吉から)客が誰かはまったく知らされていなかったが、

次の日になると(政宗の客は)、

佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝であるとにわかに告げられ、

仲の悪い衆ばかり客に仰せ付けられた。


なんとか変わった趣向を行おうと思ったものの、

にわかのことでなかなかできなかった。


季節が若菜の芽摘みの時期だったので若菜汁ばかりつくり、

できうる限り沸かし返し沸かし返し、熱くして出した。


そのため、しばらく置いても冷めずに(佐竹らが)迷惑していたところ、

早々と替えの汁を出してなかなか一口も飲めなかった上に、

また先のごとく汁を替えて出した。
まもなく酒を出し、始めから終わりまで迷惑した。

振る舞いも終わって御学問所に四人は寄り集まり、

その日の亭主としての接待ぶりを順番に語り合った。


私(政宗)が、

「今日の客は一段の日頃からの知音(親友)だったので、

どのような馳走をしようかと思ったのですが、うまくいきませんでした。

(寒い冬の時期が)旬だったので若菜の汁をできるだけ熱くしてお出ししたのですが、

飲んで一口目で怪我をしたのでしょうか、

しばらく箸を唇にくわえたまま舌打ち(現代でいう舌打ちと、

舌鼓を打つのダブルミーニング)をしてございました。」

と話した。


太閤は「さてもさてもしてやったり、してやったり。

一日の亭主だがこれは古参(のようなもてなし)である。」

と二度も三度も躍り上がり、腹を抱えて笑ったので、伺候の人々は座敷にいかね、

腹を抱えてともに大笑いした。


その末に次の日の客選びの相談をした。
このように太閤が遊びをされたこと、天下の諸大名を組み合わせたことは、

仲違いした者同士の仲直りをさせようという奥意があったと、

後に知ったと(政宗は)仰せられた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 独眼竜政宗・異聞、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!