天正十七年(1589年)、豊臣秀吉が小田原征伐を決定した際、
東国の諸大名に小田原攻めの参陣を命じたが、
石川昭光は財政が困難な上、健康上の都合もあって参陣することができなかった。
そこで昭光は甥にあたる伊達政宗が参陣する時、
三芦城へ呼び迎え、
「私は諸事情により参陣できないので、
代わりに太閤殿下に申し立ててくれないか。」
と依頼し、『荒墨』という駿馬一頭を献上してくれるよう政宗に託した。
一応承諾した政宗だが、政宗自身日和っていたせいで遅参して、
秀吉の怒りを買っていたため、申し開きできるような状況ではなかった。
そこで政宗は秀吉の機嫌を取るため、昭光より預かってきた『荒墨』を、
自分の贈物として献上してしまった。
その結果、昭光の意は少しも秀吉には伝えられず、
奥州仕置で改易されてしまったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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