小田原の役のおり、伊達政宗は奥州より越後を越え、
甲斐に出て相州箱根へと至り、豊臣秀吉に謁した。
この時政宗は24才、片倉小十郎一人を召し連れて、広野において礼を行う。
秀吉は床几に腰を掛け、政宗に言った。
「上杉景勝は既に使節を以て礼を行い、佐竹も使者を送って来た中、
政宗一人そうせず、漸くにして今日礼を行う。その罪は甚だ重い。
汝の横領した地を速やかに返上すべし。
ただ本領の三十万石は安堵しよう。
これに同意できないのなら汝は直ぐに帰国し我に敵すべし。
汝が会津に至る頃合いには、
我は必ず北条を族滅し、そこから直に会津に進み、汝と対面するだろう。」
政宗は元来度量豪傑の勇者であり、聊かも恐れる様子無く答え申し上げた。
「私は今、匹夫の姿で唯一人御前に参りました。
生死も又命のままであり、
況や郡邑など御意のままであります。
返上いたします。」
これに秀吉は大いに喜び、政宗に暇を与えて返した。
秀吉の左右の者達は皆異議を申し上げた。
「伊達政宗は必ず、奥州に帰れば仇をなすでしょう。速やかにここで討つべきです!」
秀吉は大いに笑って言った。
「お前たちは豎子であるなあ。共に謀るに足らぬ。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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