天正17年(1589)5月の事。
伊達政宗は会津の郡山一帯で、残る伊達反抗勢力、
高玉太郎左衛門尉の籠る高玉城の攻略に取り掛かった。
攻める伊達軍は大軍であった。
が、高玉勢も本丸にこもり頑強に抵抗、死に物狂いの防戦をした。
このためどうにも攻めあぐね、
朝の四時から攻撃をし続けた伊達軍も夕刻となり流石に疲れを見せ、
「今日中に攻め落とす事は無理であろう。」
と、引き上げ始めた。その時である。
高玉城に籠城する者の一人が、櫓に登り、狭間から足を出して、
引き上げる伊達軍にむかって招くように動かし、
「政の市、政の市、今日が琵琶の弾き収めだぞ!」
と大声で呼びかけた。
これに、伊達政宗が顔色を変えた。
少し説明がいるだろう。
「~市」というのは、当時、盲目の琵琶法師のうち下級の階層である、
座頭の名乗りに多い物であった。
すなわちこの男は、政宗が隻眼である事を揶揄したのだ。
こういうときの政宗は、怒りを我慢しない。
激怒し、馬のきびすを返し叫んだ。
「この程度の城が長く耐えられるものか!
一気に攻め落としあの城の者ども全員の首を、
一人ひとり捻じ切って、
政の市が弾く琵琶のバチ(罰)を当ててくれよう!」
引き上げかけた全軍を、一斉に攻め懸けさせた。
そのあまりの激しさに、城主、高玉左衛門尉ももはやこれまでと、
妻子を刺殺した上で出撃、討ち死にした。
やがて午後八時過ぎには、城内の者は老若男女の区別無く、
斬り捨てられたとのことである。
唯一、高玉左衛門尉の、2,3歳ほどの末娘とその乳母だけが、命を救われた。
人々は、
「一人の男が、政宗の事を侮蔑し、『政の市』と悪口を言ったがためにこうなったのだ。」
そう、恐れおののいたと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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