津軽統一戦に乗り出した大浦為信(津軽為信)は、
支配者の南部氏だけでなく、
浪岡の北畠氏ら有力領主や彼らが頼った、
出羽安東氏を敵に回すことになった。
1579年に六羽川で連合軍と激突し、大浦勢は本陣まで追い込まれた。
だが為信の乗馬は泥にはまり、逃げられない。
これを見た家臣の田中太郎五郎、為信の兜などを貰い受けると、
馬の尻を槍で刺して泥から抜け出させ、主君を逃がした。
自らは為信の身代わりとなり、銃弾を浴びて討死した。
連合軍は為信を討ったと思い込んで油断したところを逆襲され、出羽に退いた。
太郎五郎の亡骸と槍は、翌朝に戦場を訪れた妻が見つけた。
江戸時代に弘前藩が創建した岩木山の高照神社の宝物館で、
今もその槍を見ることができる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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