田中太郎五郎の討死☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

津軽統一戦に乗り出した大浦為信(津軽為信)は、

支配者の南部氏だけでなく、
浪岡の北畠氏ら有力領主や彼らが頼った、

出羽安東氏を敵に回すことになった。
 

1579年に六羽川で連合軍と激突し、大浦勢は本陣まで追い込まれた。

だが為信の乗馬は泥にはまり、逃げられない。

これを見た家臣の田中太郎五郎、為信の兜などを貰い受けると、

馬の尻を槍で刺して泥から抜け出させ、主君を逃がした。

 

自らは為信の身代わりとなり、銃弾を浴びて討死した。

連合軍は為信を討ったと思い込んで油断したところを逆襲され、出羽に退いた。
太郎五郎の亡骸と槍は、翌朝に戦場を訪れた妻が見つけた。

江戸時代に弘前藩が創建した岩木山の高照神社の宝物館で、

今もその槍を見ることができる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 天運時至れり・津軽為信、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!