元亀二年、津軽為信が南部家に反旗を翻し、石川高信を自害せしめた。
これを喜んだのが、安東愛季である。
南部家とは、北奥羽の覇権をめぐって父祖代々争ってきた間柄。
為信の蜂起はもっけの幸いだった。
愛季は近隣の豪族に為信救援を依頼したり、鉄砲を送ったりと支援を続けた。
が、ご存知のように為信はそんな甘い男ではなかった。
天正六年、愛季の娘が嫁ぐ浪岡氏を奇襲、
これを滅ぼして勢力を拡大させる。
愛季はこの裏切り行為に激怒し、即座に為信討伐を決意。
翌年には、比内諸将を連合させ、津軽へ攻め込ませた。
愛季自らも北へ向かおうとしたその時、
羽前は庄内の大宝寺義氏が攻め込んできたのだ。
そう、あらかじめ為信が手を結んでいたのである。
愛季は防戦に赴かざるを得ず、比内諸将は為信に打ち破られてしまった。
そして二度と、津軽侵攻軍を起こすことはなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!