天正四年四月、伊勢参拝の帰路、京に寄った島津家久。
そこで石山本願寺を攻撃後、京に凱旋した織田信長の軍を目撃した。
その日記にこうある。
「織田信長が、大阪の陣を引いてきたのを、
連歌師の里村紹巴さんの弟子・心前さんと一緒に見物する。
下京から上京に、騎馬の衆が列を連ねて相国寺の宿に入っていった。
その幟は九本。
黄地に永楽銭の模様をつけたデザイン。
信長殿の前に母衣の衆が二十人。
母衣の色はバラバラだった。
母衣は、弓箭の覚え目出度い者にのみ許されるそうだ。
馬廻りの衆は、百騎ほど。
引き陣だというのにみんな鎧を着ている。
馬にも馬面、馬鎧しているものがあった。
虎の皮を馬に着せてるものまでいた。
また、馬衣、尾袋をした馬が三頭いたが、これは信長殿の乗り換え馬なのだそうだ。
さて、その信長殿だが、皮の着物を着て、馬上で寝てた。
それにしても十七ヶ国の人数だと言う事だが、一体何万騎いるのか計り切れなかった。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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