有馬への加勢は☆ | げむおた街道をゆく

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肥前有馬のうち、島原において、龍造寺隆信と有馬修理太夫(晴信)が争っていた。
 

有馬は最初、大友に属していたが、大友の弓矢次第に弱り、

ややもすれば龍造寺に攻め詰められ、度々危ういことばかり多かったので、

この時は島津に属して加勢を得て、島原において無二の一戦を決心した。

この時、島津龍伯(義久)は、家臣である新納武蔵守(忠元)を呼んで尋ねた。
「今回の有馬への加勢は、当家興廃のかかるものである。

いかがあるべき、大将を誰に定めるべきだろうか。」
 

新納は申し上げた。
「同じ御兄弟ですが、兵庫頭(義弘)殿は、耳よりも目の大胆な人物です。
中書(家久)殿は、耳よりは、目で見て物を侮らない人です。

この度、龍造寺隆信な2万の着到にて出馬と聞きます。

それに対し有馬はわずかに4千の人数です。
そして此の方よりの加勢も4千。

ですから、戦を慎重に致す人でなければ、大事に成ると思われます。

中書殿は聞いては大胆に物事を押し、あなどる人物です。

しかし実際に見ると慎重に懸ります。
彼を以て、遣わされるべきと考えます。」

龍伯もこれに同意し、島津中無大輔家久を大将として加勢を発したが、

新納が申した如く大利を得て、隆信を討ち取ったという。

新納の終始の言い分、尤もその理を得ている。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 親指武蔵・新納忠元、目次

 

 

 

 

 

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