敵に米を☆ | げむおた街道をゆく

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豊臣秀吉による九州征伐の時のことである。
 

細川忠興と蒲生氏郷の軍は、新納忠元の籠る大隅大口城を攻めていた。

ところでこの九州征伐、兵糧不足の話がそこらかしこに出てくるのだが、

この大口城攻めも例外ではなく、攻め手の豊臣軍は甚だしい兵糧不足に陥り、

細川忠興すら一両日にわたって食事を取らずなんとか凌ぐ、

ということすらあったそうだ。

そんな時、大口城より一人の若党が下人たちに米俵を担がせ川を渡り、
忠興の陣の前まで来ると、このように大声を発した

「その筋違いの幟、長岡幽斎殿家中の陣と存ずる。
城主新納忠元よりの口上をお伝え申す!

さて、戦は兵糧のことを先ず第一にするものだと存じておりますが、
このたび、秀吉公においては兵糧がご不足の様子。

誠に笑止なことでござる。

ところで長岡幽斎殿は、わが主君、島津義久とかねてから殊の外懇意な間柄でござった。
その縁により、はばかりながらこの米をそちらにさし上げんと存ずる!」

なんと、半ば飢餓状態の忠興の軍に、

敵である新納忠元が米を分け与えるというのだ。
 

嘲笑であると取るべきか、親指武蔵の剛毅さと見るべきか。
 

忠興はこれに大いに驚いたが、
「我が軍に兵糧は潤沢にあり、そのような物は必要ない!」
と、強がりを言いこれを拒否した。

後年、忠興はこの時の事について、こんな述懐を漏らしたそうだ。
「あの時は本当に苦しかった。新納忠元の申し出を聞いたときには感動のあまり、
つい米を受け取りそうになったものだ。」

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 親指武蔵・新納忠元、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!