ある日、島津義弘が兄の義久を尋ねて加治木から国分に出掛けていた。
道の途中、とある老人の家で水を求めて入ったところ、
お供の目付け(煙草の監視役)が、家中から煙草を見つけた。
老人を問い詰めたところ、
「それがし、伊地知大膳と申しまする。この上は切腹して罪を謝せん。」
と答えた。
このことを聞いた義弘は、
「目付けも家の中まで覗かなくて良かろうに。」
と言ったが、役目に忠実なのをとがめるわけにも行かない。
また、伊地知大膳が家に尽くしてくれた歴戦の武士であることも知っていた義弘は、
苦慮した挙句こう言った。
「伊地知大膳は若い頃から方々の戦に参戦し、幾多の戦功を立てた剛のものである。
ことに福山の役では我が方が敗退し、全滅せんという時に身を挺して私を守り、
ついには敵を撃退した主家にとっての功臣でもある。
彼が戦傷を癒すために煙草を吸ったと言うのであれば、
彼に傷を負わせるような戦いをした、私の責任でもある。
横目の役目をないがしろにするつもりは無いが、
ここは私に免じて見逃してやってはくれまいか。」
まるで自らのことのように懇願する義弘の言葉に、
切腹の覚悟を決めていた伊地知は、
かたじけなさのあまり大声を出して泣き崩れたと言う。
この事件があった国分は、後に義久によって煙草の生産が奨励され、
「花は霧島、煙草は国分」と称されるほどの高級煙草の産地になった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!