泰平の世を迎えた頃、薩摩に派手な服を纏った集団が出没し出した。
ある者は法螺貝を吹き鳴らし、
またある者は大声で喚き散らしながら夜の街を駆けずり回る。
彼らのあまりにも酷い騒ぎぶりに、付近の住民は安心して眠れぬ有様だった。
これに激怒したのが、島津義弘公である。
「武士の子が、庶民の安寧を脅かすとは言語道断!!」
役所に町民の訴えが届いたのを知るや、
騒ぎを起こしていた二才衆と父親を屋敷へ呼びつけて大喝一声をくらわせた。
一通りのお説教を終えた義弘は、
二才衆に反省の為の配流を申しつけて最後にこう付け加えた。
『お前達の将来を鑑み、特にこの四書を持たせる。配流先でしっかり学ぶように。』
さて数ヵ月後、義弘は配流先から戻ってきた二才衆と父親達を屋敷に呼び出した。
義弘や近臣、父親達は屋敷の奥に控え、
二才衆には隣の部屋で一名づつ四書を朗読させたのである。
さすがに義弘の大喝が堪えたのか、皆しっかり反省したらしく、
一人の例外も無く一言一句間違えずに、最後まで読みきる事が出来た。
かくて二才衆の更正に満足した義弘は、恐縮する父親達に罪を許すことを約束した。
以降二才衆の非行はピタリと止み、義弘公のお通りと聞けば食事中の者も、
皆外へ出て拝礼するまでになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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