越後の堀左衛門督(秀政)の家中の諸士へのあてがい、
百姓町人以下への作法等が悪しきとして、
何者かが越後の城下の町の辻に大札を立て、
そこには『堀左衛門殿悪敷仕置の条々』として、
二十二、三ヵ条が書きつけられていた。
堀家の目付、出頭人などが談合し、これを左衛門殿に見せ参らせ、
「かかるいたづら者をば、きっと御穿鑿あって、
懲らしめのためにも法度を行われるべきです。」
と申し上げた。
左衛門殿はこの札をつくづくと読むと、ふと立ち上がって袴を着け、
手水を使い、うがいをして、かの札を三度頂くと言われた。
「一体どこに、これ程の諫言を私に言ってくれる者がいるだろうか。
これは偏に、天が与えさせ給わったものであろう。
この札は、我が家の宝である。」
そうして札を結構なる袋に入れ箱に納め、
その後、諸奉行・代官等を集め、それぞれに善悪を糺し、
家中の作法、知行割、扶持方の渡し様、町人百姓に至るまで、
憐憫を加え、仕置尽く宜しく改められた。
それ以降、世の人々はこぞって彼を、名人左衛門督と云った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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