堀秀政は新参の家臣を抱える時、
最初の三十日は朝夕の食事の相伴をさせて、
主従の親しみを作るようにし、
その者がどんな言行をするかを見、
次の三十日ほどは他家への奏者をやらせ、
家中の外の事を知らしめ、それに付いての言行も見た。
そうして初めて、知行を申し付けたそうだ。
残念ながら秀政の心にかなわず、仕官を果たせなかった者でも、
金銀や衣服などを与え、さらにその者が他家への出仕が決まれば、
その主人にくれぐれもその者を頼むと言ってよこした。
こんな風だから多くの人が、秀政に心服していたと言う事である
堀秀政は九州征伐の時、先陣をおおせつかった。
そして緒戦にて、島津の兵50人ほどを生け捕った。
秀政はその捕虜達に「助かりたいか?」と尋ねれば、助かりたいと言う。
「ならばわしの言う事をこの先の薩摩の衆に申し伝えてくれ。ならば召し放とう。」
島津の者達は、了解をした。
間もなく島津方の陣に、生け捕りにされていた者達全員が戻ってきた。
島津の陣のものは皆驚いたが、それ以上に驚いたのは彼らに託された、
堀秀政からの伝言である。
「こんにちは!今回先鋒を勤めている久太郎です!ところで薩摩の皆さん、
ボクははるばる九州までやってきて、その旅でとても疲れているんだけど、
来て早々あなたたちがあまりに簡単に崩れるもんだから、
その追撃のせいで、休んで疲れを取る暇が無いんだよね。
そこで悪いんだけど、この先の城では、せめて三日持ちこたえて。
その間に人馬休めるからさ。お願い!」
これには薩摩隼人たちも、肝を冷やしたとのことである。
堀秀政はトイレを玄関に作ったそうだ。
何故なら、トイレには1日に必ず2,3回は行くものである。
その度に自然と、番所の者達の働き振りが見られるから、とのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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