配下の者達を使うに心を用いる☆ | げむおた街道をゆく

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堀久太郎秀政、後に左衛門督という。

武士から下僕に至るまでこれを扱うとき、

下の者達に情を尽くすことを第一に心がけていたため、

配下に彼を恨むものは居なかった。

ある時、奉行の従者と、荷物持ちの者達が言い争っているのを聞いた。

荷物持ちの者達が、
このような荷は重すぎて持てないと抗議をしていたのだ。
 

秀政はその荷物を自分で持ち上げると、そのままあたりを往来してきた。

そして、
「私はあの荷物持ちの者達より力がある。

なのに一里ばかりこれを背負って疲れ果てた。
彼らがこれを持つこと出来ないというのは当然である。」
そう結論した。

またある時の合戦の折、秀政自らの武者押しに旗指が遅れた事を周りは咎めたが、

秀政は自らこの旗を負って馬を駆けてみた。
「これは武者押しの時の私の乗馬が、肝が強い物だったために旗指が遅れたのであろう。」
そう考え、肝の弱い馬に乗ったところ、以後旗指が遅れることはなくなった。

彼は世に名人久太郎と呼ばれるが、

このように配下の者達を使うに心を用いた故に、そう人は言ったのである。
 

小田原陣中に卒した。享年三十八であったとか。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 名人久太郎・堀秀政、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!