天正5年(1577)の能登、七尾城の戦いにおいて、
約1年の籠城の末、
上杉謙信に内応した、遊佐続光、温井景隆、三宅長盛らの手により、
大将の長続連をはじめとした長一族は悉く殺され、
残ったのは、織田信長のもとに援軍要請に行っていた長連龍だけとなった。
長連龍は柴田勝家の軍に属し、裏切り者に対する弔い合戦を望んだが、
一族悉く滅ぼされたため、いかんせん兵が無い。
そこで勝家は越前の大橋に、こんな札を立てた。
『長九郎左衛門(連龍)は、近々能登に発向する!
立身を望む者は、たとえ我が被官であっても構わないので、これに属し参じるべし。
能州一国、平均あることは必定である!』
これを見て元長家の牢人など、80騎ほどが駆けつけたそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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