天正19年、九戸政実の乱の際、九戸城包囲の陣中でのこと。
蒲生氏郷の陣では、馬を放つ事・喧嘩・大声・抜け駆け等は法度で堅く禁じられていた。
しかし、このとき蒲生家に仕えていた関東侍どもは、
そんなことも知らない新参者どもであり、
己の勇気の命ずるがまま、抜け駆けして名を上げ、
褒賞に与ってやろうと思ったか、
二騎の関東侍が連れ立って、勝手に城の堀際まで進んで行ってしまった。
これを軍奉行や横目の面々が氏郷に報告し、
氏郷は、
「志は勇ましいが、法度で禁じてあること故、その者らを切腹させよ。」
と申しつけた。
二人の関東侍はこれを聞いて津軽勢の小屋に逃げ込んだが、そこまで押し掛けて、
二人に腹を切らせた。
ところが今度は陣中の車丹波守が同じ関東侍と喧嘩を始め、
頭にきた氏郷は、「関東の奴らほど、法度を守らん連中はおらぬな!」
と蒲生家中の関東侍たちに一人残らず暇を出してしまった。
かの車丹波守は、元は佐竹義宣に仕えた高名な勇士であったが、
その後は蒲生郷可から扶持を受けたということだ(陪臣として仕えるならよかったらしい)。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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