小田原の役にて☆ | げむおた街道をゆく

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蒲生飛騨守氏郷は、

南伊勢五郡12万石を領する飯野郡松坂の城主であるが、

今度秀吉の命で、一軍の将として、

天正十八年三月二日居城を出て関東(小田原征伐)へと向かった。

出発に当たり氏郷は、領内で家中を整え勢揃いをした。

前駆、後駆の手当もし、隊伍の備えも済ませ、
自身は家重代の鯰尾兜を近臣に持たせ、ここに居よと命じて軍勢の見聞をし、

その場に戻った所、兜を持たせた家臣は居なかった。

その最初の失態に氏郷は何も言わず、二度目の見聞の後、

その場に戻ると又もその家臣は居なかった。

何かの事情でやむなく場を外したのであろうが、

主人の命を二度まで、蔑ろにしたということで、

氏郷は即刻太刀を抜いてその家臣を切り捨てた。

これを見た諸士たちは、唇を震わせ恐れ、小田原及び奥羽の陣中、

誰もが厳しく軍法を守り命に背く者は居なかった。

またこの当時、氏郷の馬印は熊の毛の棒であったが、

今回関東に発向するにあたって、その馬印を止めて、
三階笠を用いたいと、秀吉に願い出た。

三階笠の馬印とは、越中の佐々内蔵助成政の馬印で、

天下周知のものであるだけに、秀吉はこれを許さなかった。

 

氏郷が、

「では私の武勇は成政に劣ると言われるのでしょうか?。」と問うと、

秀吉は、
「今暫く待つように。小田原表での働き次第で許すとする。」と答えた。
氏郷は黙って引き下がったが、

今度の出陣に命を捨てる覚悟であることが見て取れた。

氏郷は松坂を出発前に画工に命じ、

綾の小袖を着し手に扇を持った自分の姿を旗指物に描かせ、
例の三階笠も内緒に仕立てた。

そして門出に当たって重臣である町野左近将監繁仍の妻を呼んだ。
この女性は氏郷の乳母であった。

氏郷は彼女に語った。
「私は関東に下って討ち死にする覚悟である。

なのでこの旗を、江州蒲生郡日野の菩提所に送り納めるように。」
そう言って旗を渡した所、乳母は涙を流して、
「殿は未だ歳もお若いのに、そのように、

旗を菩提所に納めるなどというのは忌々しき事です。」
そう承知しなかったが、氏郷はこれを笑って、
「この度はるばる関東に下れば、生死のほどはおぼつかない。

もし予想したように討死したのなら、
我が子藤三郎秀行が成長の折、父の平生の姿を見たいと思うことも有るだろう。

その時はお前が長生きをして、この絵姿を見せ、

また我が事もよく語り聞かせて欲しい。」
そのように言った。

また三階笠の馬印は、その後小田原攻めでの斉田口の夜討ちで戦功を立て、

秀吉より御感を賜り、
翌日、三階笠の馬印を許されたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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