松坂のすりこぎが嶽☆ | げむおた街道をゆく

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天正16年(1588)、伊勢松ヶ島城主・蒲生氏郷は、

その居城を飯高郡矢川庄四五百森(よいほのもり)に移すことを決定。

四五百森は名を改め『松坂』とした。
こうして松坂の新城下が形成されつつあった頃のこと。

氏郷の御伽衆に、種村大蔵入道慮斎という者がいた。
彼は元々、織田信長の御伽衆であったという。

そんな慮斎も氏郷より松坂に屋敷地をいただき、そこに美々しい屋敷を建てた。
特にその庭は造形に念を入れ、中に富士山を模した山を筑山した。

ある時、氏郷、慮斎が庭に富士山を作ったという話を聴き、

「ぜひ御辺の庭を見たい。」

と、彼の屋敷を訪ね庭の山を見てみると、なんとその山は、頂上の丸いものであった。
氏郷はかつて織田信長の甲州攻めに参加した際富士山を見ており、

その頂上が平らであることを知っている。

「これは如何に。こんな富士山は聞いたこともない!」

氏郷は大いに笑い、硯と紙を持ってこさせ短冊に一首詠み、

それをこの山に立てて帰った。

 

その短冊に曰く。
『富士見ぬか 富士には似ぬぞ松坂の 慮斎の庭のすりこぎが嶽』

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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