天正十二年、美濃賀々城攻め☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

小牧長久手合戦の時のこと。

 

尾張国竹ヶ鼻城では不破権内(綱村)の子息である源六郎が立て籠もり、

織田信雄に合力していた。
そこで羽柴筑前守秀吉はじめ、その他の大名はこの城に押し寄せ攻め寄せ、

水攻めに然るべしとして、大河小河を切かけ攻め破った。

それより直に美濃国賀々城へ押し寄せ攻められた。

これに城中の兵たちは、
「寄せ手の軍勢に比べれば、自分たちは大海の一滴、九牛の一毛である。」と、

叶うとも見えなかった。

城主の賀々井駿河守は謀りを廻らし、五月六日の夜、

寄せ手の陣へ夜討ちをかけようと、

伊勢国住人である嶺、久須、千草、上木の四人を大将として、

子の刻(深夜0時ころ)に追手の門より打ち出た。

実はこの内の千草は、蒲生飛騨守氏郷の母方の叔父であり、

宵の頃より飛騨守に対して知らせが有ったという。
 

されば蒲生氏郷は、

「氏郷でなければ手に合わない。」

と、真一番に掛け合って戦われた。

それに続いて上坂左文、小坂といった侍たちが左右に従った。

その他、寄せ手の軍兵我も我もと追手の陣へ向かった。

五月の暗闇は大変暗く、敵も味方も見分けることが出来なかった。

敵が二人落ちて来たのを、氏郷が
「何者か!?」と声をかけると、

彼らは偽って「浅野弥兵衛家臣、生駒弥五左衛門!」と名乗った。

 

しかしこれを聞くと「そんなわけがない」と二人共に打ち留めた、

ここに城方の嶺孫三郎は、生年十八歳、容貌美麗、

また人に優れて心優しい人物であったで、天下の男女恋焦がれて、
小唄などを作って謡うほどであったが、彼も真っ先に駆けて戦ったところ、

味方の兵たちと共に中に取り囲まれて、
生け捕りと成り、片陰にて頸を斬った。

次に久須は生年十六歳、これも無双の若衆であったが、

同じく氏郷勢に生け捕られ頸を斬られた。

千草は当時六十歳ばかりの人物であったが、これも氏郷勢に生け捕られ頸を斬られた。

上木は歳三十ばかりと見えたが、これも討ち死にした。

こうして城方は敗北し、落ちてくる敵はその数を知れぬ程であった。

 

また関勝蔵の家子・佃又右衛門は追手の門際まで攻め寄せ、

比類ない働きをして良き頸を取ってきた。

 

或いは、敵が「蒲生の者である」と名乗って氏郷の前に来たのを討ち留めたのも多かった。

敵は蜘蛛の子を散らすように落ちていくのを、

氏郷主従三人はその真ん前にて突き倒し、斬り伏せ、頸を獲った。

 

その他、寄せ手も大勢が頸を取ること、その数が知れぬほどであった。

暫く戦っているうちに夜も白々と明けると、

氏郷は左文、小阪を召して、自分の鑓を突き出し「これを見よ」と言った。

その鑓はササラのように成っていた。

氏郷の鑓下の頸が曲がって、鑓の柄に血が朱に流れていた。

 

左文、小坂の鑓も見た所、ササラのように成っていた。

 

その時氏郷は、
「今夜の合戦は、この三人のみが骨を折ったのだ。」と申された。

 

寄手の方が討ち取った頸数、都合四百余の内、氏郷の手にて百余を取ったと云う。

 

寄手の軍兵が我も我もと追手へ寄せ戦う間に、

城の大将である林与五郎、賀々井駿河守は密かに搦手より出て、
遂に尾張国へ落ち行った。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ レオン氏郷・異聞、目次

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう!