筒井順慶の家臣に、板倉権内と言う者がいた。
この権内、どうしたわけか彼のことを、
「臆病者である」と誰かが言い始め、
やがて家中は勿論、隣国までその評判は伝わり、
臆病者の話が出ると「筒井家の権内か」と、
世間で言われるまでになった。
権内はこのことを大変口惜しく思っていたが、
誰がということではなく、世間一般にそう言われる事なので、
致し方もなく日を送っていたが、何分不快なことであり、
終に筒井家を立退き牢人となった。
そして諸大将の器量を見て回り、蒲生家に出向くとこのように申し上げた。
「拙者の事、きっと聞き及ばれた事もあるでしょう。
臆病者の板倉権内です。
臆病者であってもお使い下さるのなら、御奉公仕らん。」
居合わせた蒲生家の侍たちは、「これが臆病者の権内か」と言いながら、
非常に軽蔑した様子で、奥に行きその事を言上すると、
蒲生氏郷が出てきて聞いた。
「その方が権内か。どうして私に仕えようと思って来たのか?」
権内は答えた。
「臆病者を抱える主君は、あなた以外にはあり得ないと考えましたので、
この様にまかり出ました。」
氏郷は深くうなずき、即座に彼を召抱えた。
その後、合戦が起こり氏郷はこの権内を連れて出陣した。
この戦場で権内は抜群の働きを成し、大将分の首を二つ取った。
氏郷は大喜びし「まるで吾妻鑑に出てくるような武功だ!」と、
即座に二千石を与え物頭とした。
これより権内の臆病者の名前は消えうせ、諸国に勇名を轟かせた。
これに、
「家臣が豪胆か臆病かは、主君が用いるか捨てるかにあるのだ。」
と、その頃の人は言ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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