毛屋主水が馳来て☆ | げむおた街道をゆく

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毛屋主水武久は、佐々成政に仕えていたが、成政の切腹のあと、

中津に来て黒田家に三百石で仕えた。

さて、天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐の結果、

蒲生氏郷が伊勢松坂十二万石から、会津四十二万石を賜った。

氏郷は俄に大大名と成ったため、この時、

毛屋主水に、一万石で自らに仕えるようにと密かに書状を送った。

しかし、主水はこれに、
「只今、私に高禄を賜るとのことですが、

朝鮮への出兵をひかえて他家に移るというのは、
私の本意ではありません。
もし、つつがなく帰朝できましたら、御意に従うでしょう。」
と、断った。

氏郷と主水の間には、かつてこのような事があった。

羽柴秀吉による播磨三木城攻めの頃、

毛屋主水は山崎源太左衛門(片家)に仕えていた。
この頃、彼は、田原金十郎と名乗っていた。

さて、その三木城攻めの最中、秀吉の軍は敗北し、

これに参加していた蒲生氏郷の部隊は郎従ら皆逃げ去り、
氏郷の身も危うし、との時、毛屋主水が馳来て近づく敵を追い散らした。
そして氏郷に向かって言った。

「私は田原金十郎と申して、山崎家の家人です。

貴公と我が主君とは不和ですが、
只今の急難、見捨てがたきによって救い奉る!」

これに氏郷は感激し、主水に向かい、

「今日の芳志、絶対に忘れない!」と叫んだ。

これ故に、氏郷は兼ねてから毛屋主水の武勇をよく知っており、

かつ、昔の忠節を思い出し、
あのような書状を出して、大禄を遣わして召し抱えたいと言ってきたのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ レオン氏郷・異聞、目次

 

 

 

 

 

 

 

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