天正二年七月、織田信長が長島の一揆を伐った時、
蒲生氏郷は大剛の者を組み討ちにして首を取り実検に入れた。
しかし信長はこれを冷笑し褒詞無かった。
暫くして氏郷に言った。
「凡そ勝負は時の運に寄るもので、兼ねて計ることは出来ない。
功名は武士の本意というが、それは品によるものだ。
今の汝の功名は、軽卒のやることである。
一方の大将たらん者は、更に好むべきではない。
身の危うきを顧みないのは、それほどの功とは言えない。
今後、この心を忘れるな。」
そう戒めたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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