これは、吉田又左衛門が語ったことなのだが、
佃又左衛門には武道の心懸けがあり、度々の用に立った侍であった。
その佃の物語に、
「総じて主君が言ってくる事で、無理なことを言ってきたとしても、
さしあたりの申し訳をするのは、事にもよるが、
基本的に固く慎むべきである。
私が蒲生氏郷に仕えていた時、奥州において敵の城中に押し寄せ、
陣取りをしたのだが、そこに大将である氏郷自ら忍んで、
夜な夜な陣中を巡り、勤めるを勇め怠るを戒められた。
ある時、敵が夜討ちに出た。
私は真っ先にそれと渡り合い、氏郷の見ている所で、
鑓にて競り合い、終に敵を追い払った。
翌日、軍功の評価の時、氏郷はこう言われた。
「佃は常々の心がけに違わず、先駆けしたこと大功である。
さりながら、少し狼狽えていたと見えた。
鑓の鞘を外さずに突き合いをしていた。」
私は承って、
「誠に夜討ち厳しく、
鑓の鞘を外したのか外さなかったのかもわきまえ難き状況でしたが、
奇特にご覧になられたものです。」
と申し上げた。
氏郷は、
「汝は正直なる者かな。世の常の者なら、今のようには申さないだろう。誠の武士である。」
と褒美された。
思うに、合戦という時に臨んで、鑓の鞘を外さないという事はありえないのだが、
主君の言葉が違えないため、自身の身を顧みないという気持ちが、
常にその心内にあったため、こういった事態に、
臨んで外に顕したのだと見える。尤も殊勝な事である。
つまり蒲生氏郷の勘違いをうまくフォローしました、という話ですね。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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