永禄2年8月、
織田信長による伊勢北畠攻めにおいて、北畠方の徳山城も、
織田掃部助(忠寛か)、蒲生賢秀、その他約1万余騎にて攻め寄せ、
揉みに揉んで攻め落とした。
この時、蒲生賢秀の嫡男である忠三郎(氏郷)も14歳にて軍始であったため、
賢秀は殊に気を使い、彼に結城十郎兵衛、種村伝左衛門という、
家中の剛の者を付けた。
さて、賢秀が士卒を下知して駆け回っていると、
「忠三郎様の姿が見えない!」という声を聞いた。
賢秀は驚愕して、結城、種村を呼びつけ、
「汝等を付けたのは何のためか!?討たれてしまったのかも知れない、どうすれば…。」
そう悩み悶て居た所、そこにひょっこり、忠三郎は敵の頸を取って帰ってきた。
賢秀はその姿を見るや、感涙し鎧の袖を濡らした。
忠三郎の取った頸はやがて信長の見参に備えられ、信長は感じ入り、
自ら打アワビを取って与えたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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