和田昭為の変転☆ | げむおた街道をゆく

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佐竹義重の宿老に、和田昭為という者がいた。

 

ある日、佐竹と激しく抗争していた会津蘆名家から、

和田屋敷に使者が遣わされた。
和睦の使者だったが、条件が悪く昭為は独断で拒否した。

ところが、これを察知した重臣の車丹波守は、昭為の内通を疑った。
丹波がこのように上申したため、義重も昭為を猜疑し、

和田家討伐を指図した。
昭為自身は間一髪出奔したが、息子三人は上意討ちで殺された。

出国した昭為は蘆名重臣の佐瀬源兵衛を頼った。
しかし、

「下位に置くわけにもゆかず、かといって上位に置けば蘆名の歴々が納得すまい。」
と語るのを聞き、早々に見切りをつけて再度出奔。

 

今度は南陸奥の白河義親を頼った。
義親は昭為の境遇に同情し、またその計略の見事さから重用した。
白河重臣となった昭為は、常々佐竹への復仇を口にし、

義親にその策を話してもいた。
ついに義親もその気になり、佐竹領へ軍勢を率いて打って出た。

が、結果はこてんぱんに負けた。
侵攻した義親を、東義久が迎え撃ち、

さらに背後では昭為が反義親勢力を蜂起させたのだ。
そう、昭為は佐竹への復帰のため、すべてを義久に内報していたのである。
この敗戦で義親は佐竹に膝を屈し、昭為は宿老として返り咲いた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

 

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