天正4年(1576)8月、
佐竹義重は、三春城主・田村清顕の要請を受け、白河義親を攻めた。
ところが9月になって清顕が裏切り、
22日の夜半に義重は白河と田村の挟み撃ちにあった。
思わぬ夜襲に佐竹の兵は右往左往するばかりだったが、
義重は床机に腰掛け、冷静に采配を振るい続けた。
しかし、一度乱れ散った隊列が闇夜で整うはずもなく、
ついに義重の本陣にまで矢弾が飛んでくるに及んで、
動かぬ義重を近習がムリヤリ馬に乗せて退却を図った。
この時、義重は近習と押し合ったはずみで采配を取り落としてしまった。
「いかん、拾って来い!」
義重の命により落ちた采配を探したが、夜のうえに雨まで降ってきて、
見つけることができない。
敵はいよいよ迫り、義重の馬丁まで銃弾に倒れた。
「殿、旗本も討たれております!采配などあきらめ、早くお逃げを!」
しかし義重、少しもあわてず答えた。
「勝敗は兵家の常だ!ここであわてて采配を失くしては、
オレは二度と佐竹の家で采配を振るうことが出来ぬわ!」
「殿!ありましたぞ!」
一歩も退かぬ義重を見て、重臣の川井大学が偽って別の采配を渡し、
義重の馬の口を取った。
「お馬の口に侍りしは、川井大学と知り給えぃ!」
川井の芝居がかった言い方に義重も苦笑し、ようやく退却を始めた。
が、途中で小川を見て立ち止まった。
「こんな泥まみれの馬に乗って、もし追いつかれて討ち死にすれば、
『義重は慌てたり』
と笑われよう。」
そう言って、川の流れで馬を洗った。
この戦、当然義重の負け戦となったが、関東奥州の諸将は、
「合戦は時の運によるもので、義重が采配を拾ったのは、
源義経の弓流しの故事と同じである。」
と言い、義重を褒めた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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