業盛、享年19☆ | げむおた街道をゆく

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箕輪城方は、1500ほどしか兵士が集まらず、

若き城主の長野業盛は諸将を集め、防御の方法を議した。

甲は、

「城を固守して上杉謙信に救援を乞うべきだ。」

と主張した。
 

乙は、

「属城がことごとく敵方に落ち、将兵は死ぬか背くかした。

そのような中で謙信に助けを乞うのは、
かえって世の笑いを受けてしまう。万死を期して決戦あるのみ。」

と主張した。

 

すると日頃城主の信任が厚かった丙が、

「我が先君(業正)は上杉氏のために最後まで身命を賭して尽くした。

しかし憲政は愚者であり、先君を用いず、遂には国を失い、

謙信を頼る様となった。
かような次第なので、

今我々の幼君(業盛)も犬死することがあっては先君に申し訳ない。
むしろ武田家に降りお家を残すのが適切だろう。」

と主張しだした。

 

皆はこれを聞いて驚き、

「昨日まで我が主家の棟梁豪勇の忠臣であったのが、

なぜにわかに臆病者になったのか!」

と声をあげ涙を流し、甲などは憤然として刀に手をかけ丙を斬ろうとした。

すると業盛は諸将を制して、

そのまま奥の間に行き、業正の位牌を奉じて上座に安置して拝礼したので、
諸将もこれに従い拝礼したが、どういった意味なのかわからなかった。

 

業盛はその様子を見て、おもむろに、

「丙が降伏の議を説いたのは皆の心底を知ろうと私が命じたものだ。
今、皆の心が鉄石の如く堅いのを見ることができ、これ以上喜ばしいことはない!」
と言ったので、皆再び驚き、業盛の用意周到なるに敬服したという。

 

その後、業盛率いる箕輪衆は、

若田原へ打って出た後に、箕輪城に立てこもり、そこで業盛は散った。

 

享年19。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 上州の黄斑・長野業正、目次

 

 

 

 

 

 

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