箕輪城方は、1500ほどしか兵士が集まらず、
若き城主の長野業盛は諸将を集め、防御の方法を議した。
甲は、
「城を固守して上杉謙信に救援を乞うべきだ。」
と主張した。
乙は、
「属城がことごとく敵方に落ち、将兵は死ぬか背くかした。
そのような中で謙信に助けを乞うのは、
かえって世の笑いを受けてしまう。万死を期して決戦あるのみ。」
と主張した。
すると日頃城主の信任が厚かった丙が、
「我が先君(業正)は上杉氏のために最後まで身命を賭して尽くした。
しかし憲政は愚者であり、先君を用いず、遂には国を失い、
謙信を頼る様となった。
かような次第なので、
今我々の幼君(業盛)も犬死することがあっては先君に申し訳ない。
むしろ武田家に降りお家を残すのが適切だろう。」
と主張しだした。
皆はこれを聞いて驚き、
「昨日まで我が主家の棟梁豪勇の忠臣であったのが、
なぜにわかに臆病者になったのか!」
と声をあげ涙を流し、甲などは憤然として刀に手をかけ丙を斬ろうとした。
すると業盛は諸将を制して、
そのまま奥の間に行き、業正の位牌を奉じて上座に安置して拝礼したので、
諸将もこれに従い拝礼したが、どういった意味なのかわからなかった。
業盛はその様子を見て、おもむろに、
「丙が降伏の議を説いたのは皆の心底を知ろうと私が命じたものだ。
今、皆の心が鉄石の如く堅いのを見ることができ、これ以上喜ばしいことはない!」
と言ったので、皆再び驚き、業盛の用意周到なるに敬服したという。
その後、業盛率いる箕輪衆は、
若田原へ打って出た後に、箕輪城に立てこもり、そこで業盛は散った。
享年19。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!