上杉謙信の元に、長篠の戦いでの武田の敗報が伝わると、
謙信は養子である景勝、景虎に向かって語った。
「私は若年の頃より軍陣に臨み、幸いにして勝利を得てきたが、
それは私の武道のお陰ではなく、いわば、時の運なのだ。
というのはな、勝利を確信した上で押し懸り、
それで勝利を得るのが正道の弓矢というものである。
一方、負けるのが解っていて、それでも戦おうとするのは、
目が見えぬまま何かを行うのと同じで、愚かの至である事、勿論である。
ところが私は、必ず負けると見ても、無二無三に攻めかかって、
それで勝利を得てしまったことが度々有る。
何とも時の幸いとしか言えないではないか。
だがな、私が『撤退するのは卑怯だ』などと思って無理な働きをしようものなら、
それこそ敗亡は一瞬のうちであろう。
信玄公は名誉の戦上手であった。
信長さえ彼を神のように恐れ、
一度も甲州に出兵することはなかった。
しかし彼の才能は天禀の致す所で、真似ようとして真似できる智慧ではない。
ところが勝頼は身の程を知らず、
父の形ばかりを真似し、今度の長篠の大敗を招いたのだ。」
そして一息ついて、
「こうなってはもう、勝頼も信長に対抗するような元気は無く、
幕下の侍大将も、次第に彼を見限るだろう。
この隙を狙って我が旗を出せば、信州から西上野は言うに及ばず、
甲州までも手に入れるのは容易である。
しかし、年若い勝頼を辛い目に合わせるのは、私の本意ではない。
まあ、今に見ておれ。捨てておいてもやがては、私の幕下に従いに来るだろう。」
そのように言われたのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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