上杉謙信の近くに仕える女に、土州佐保と言うものがあった。
永禄8年春、両親と会うため故郷に帰省したいという願いを申し出た。
謙信は取次の女房を呼び、
3月20日前後を日限としてこちらに帰ってくるようにと伝えて休暇を与えた。
ところがその日限になっても女は帰って来なかった。
取次の女房はしきりに気をもみ、書状を出して呼び返した。
ある日、謙信はその女を不断所に召し出し、その不都合を攻めた上、
小姓の荒尾助九郎をして頸をはねさせた。
後に太田三楽(資正)はこの話を聞いて、北条丹後(高広)に言うには、
「貴殿の主人・謙信公は、武勇については別問題として、
その御気性を見るに、
10のうち8つは大賢人、2つは大悪人という割合になるな。
生まれながらに勇猛だが、とにかく怒気激しい癖がある。
けれども善い事には清浄潔白で、曲がったこともなければ何かを隠すようなこともなく、
下々の情勢を察し、士民を憐れみ、好んで忠諫を納れられるなどは、
末代ありがたき名将だと思う。
だからまあ、少々の非難はあっても贖って余りがあるので、8つは賢人と申して良かろう。」
そう言って破顔大笑した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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