その昔、駿府城では、
城内で謡曲の“芭蕉”を謡ってはいけない、というタブーがあった。
この曲は内容的には、年老いた女の姿をした芭蕉の精霊が、
僧侶に世の中の無常を語るというだけの、
謡曲としては珍しくないテーマのものなのだが、
無常を謡うものだから、あまり景気のいい曲ではない。
桶狭間合戦の出陣前夜、これを今川義元が駿府館で謡った。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
それを聞いた家臣の松田左膳は、歌詞が不吉だと窘めたが、
興を削がれて怒った義元はそれに怒って、左膳を手討ちにした。
そして合戦が始まり、義元が桶狭間に陣を据えると、
どこからか左膳が謡う声がした。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
たちまち雨が降り始め、風が吹き荒れた。
どうしたことと驚く義元の眼前に、織田の軍勢が殺到した。
以降、駿府館が駿府城と呼ばれるようになってからも、
城内で「芭蕉」を謡うのは不吉とされた。
ところが時代が下り、家康の子息達が駿府城に入るようになると、
彼らはこういう噂を軽んじ、
徳川忠長は城内でこの曲を演じさせた。
すると、たちまち風雨が起こり、
雷鳴がいななくと共にどこからともなく男が謡った。
「よしや思えば定めなき、世は芭蕉葉の夢のうち」
しばらくして、忠長は甲州へ送られ遂に高崎で切腹となった。
以降、幕末まで、駿府城内では、
「芭蕉」は口ずさんだりすることさえ固く禁じられた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!