武田信玄の侍大将、山県昌景の配下に、
平野久助と、元越後の牢人、大熊備前守と言う者が居た。
双方武勇の者として名を成していた。
さて、信玄が、上州の箕輪城を攻めた折の事である。
平野は搦め手を攻める部隊に配属され、大熊は大手を攻撃する部隊に居た。
大手の攻防は城方の反撃が強く、武田軍は一旦部隊を後退させた。
この機に敵は追撃を仕掛け、敵味方入り乱れる混戦となった。
この混乱の中、大熊は自分の指物を敵兵に奪われてしまったが、
彼はその敵を追いかけ組み止めて指物を奪い返し、
さらにその兵の首を取って陣へと帰った。
この大熊の働きは武田軍の中で評判となり、信玄もこれを大いに褒めて褒美を取らせた。
平野も搦め手での戦いで人目を驚かすほどの活躍をし、
信玄からこれもまた同じように褒美をいただいたのだが、
彼は大熊の評判の高さに嫉妬し、事あるごとに人々の前で大熊を謗った。
山県昌景はこの事を聞いて、
「これは家中が乱れる元となる、いくら武勇があっても人を妬む者は卑怯者である。」
として、平野を自分の配下から外した。
平野はこのことを恨み、目安をしたため信玄に訴訟をした。
信玄は山県を呼び出し詳細を聞き、
やはり、
「そのような卑怯者は武勇があっても役には立たない。」
として、ついにその扶持を取り上げ武田家から召し放った。
この平野、こんな事があったにも拘らず、その後他家に仕官したものの、
また人の手柄を謗って喧嘩となり、斬り合いをしたが不利となって逃げ出した。
しかし相手に追いかけられ、郊外の麦藁が積んである影に逃げ込んだが、
後ろから斬られて死んだ、と言う話だ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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